2014年01月16日

「認知症800万人時代」この国に何が起きるのか

「認知症800万人時代」この国に何が起きるのか

世界中のどこも、経験したことがない社会 65歳以上の4人にひとり、80歳以上は2人にひとり 何もわからない。訳もなく徘徊する。被害妄想に取り憑かれる。そんな人々が街中に溢れたら

誰でも、歳を取ればもの忘れはひどくなる。「ド忘れしただけ」「自分は病気じゃない」と思いたい。だが認知症は、今もっとも身近な病気。怖いけれど、いずれ必ず直面する「現実」に向き合ってみよう。

治す方法はない
「うちのマンションに20年ほど住んでいる77歳の女性は、認知症です。10年前にご主人に先立たれてから発症したようですが、子供も親戚もおらず、一人暮らしを続けています。

 最近、お金の管理ができなくなってきて、家賃を滞納しています。年金手帳をなくしてしまったらしいのですが、探すことも、再発行の手続きもしません。銀行口座も、暗証番号を忘れてしまったと言っていました。だから、お金を一切下ろせない。すでに、半年分の家賃をいただいていません」

 こう語るのは、東京・大田区のマンション管理人・加瀬弘子さん(仮名)だ。古い物件で家賃が安いためか、全20室のうち7室に一人暮らしの高齢者が入居し、うち3室の住人が認知症を抱えているという。加瀬さんが続ける。

「家賃の督促に行くと、彼女は滞納しているということも忘れているので、『ちゃんと払っている』『年寄りだからって騙そうとしているんだ』と逆切れする。部屋を覗くといつも暗く、電気、ガス、電話が止められているようです。食事は配食サービスを頼んでおり、その料金は口座から引き落としになっているので命の危険はありませんが……。要介護認定を受けてヘルパーを受け入れるよう説得していますが、断固拒否しています。

 他の認知症の方も、騒音をたてたり、79歳の男性は女性入居者の家のドアの前に居座るなど、ストーカーまがいの行為をしたり、問題が絶えない。このまま続くなら、強制退去も選択肢の一つだと思っています」

 ここ近年で、認知症が爆発的に増加している。今年6月に発表された厚生労働省研究班の調査結果によると、'12年時点で65歳以上の認知症患者は約462万人、予備軍(生活に支障をきたさない程度の軽度認知障害)を含めると、860万人以上。実に、65歳以上の4人にひとりが認知症ということになる。

「80歳以上になると、予備軍を含めれば2人にひとりにまで増えます。私は、高齢になれば認知症はかかって当然の病気と思って、患者さんと向き合っています。でも、大病院のような3分診察では見抜けない。自分が認知症と知らない方も多いと思います」(在宅医療専門の「たかせクリニック」理事長・高瀬義昌医師)

 認知症は、今のところ進行を遅らせる薬はあっても、治す方法はない。現在「予備軍」と言われる人も、いずれは認知症の症状が進行していく。800万人以上が認知症を発病したら、この国は一体どうなってしまうのか――。

 認知症高齢者の理屈が通用しない言動は、時に危険を伴い、介護者の神経をすり減らす。認知症の代表的な症状で、アテもなくさまよう「徘徊」が、その一つだ。78歳の父親の徘徊に悩まされた、吉田正志さん(54歳・仮名)が語る。

「ある夜、10時過ぎに父親の寝室に様子を見に行くと、姿がなかった。パジャマ姿でお金も持っていないし、近所にいるだろうと思っていたんですが、一向に見つからない。これはヤバいと警察に捜索願を届け、家族は眠れぬ夜を過ごしました。そして翌朝、8km離れた隣の区の警察から、見つかったと電話があったんです。なんでも、知らないお婆さんと手を繋いで歩いているところを保護されたという。近所を歩いていたら、同じく徘徊していたお婆さんと出会い、デートのつもりで遠くまで行ってしまったらしい。これを境に、昼夜を問わず徘徊するようになりました」

施設にも入れない
 吉田一家は、もう手におえないので、父親を施設に預けたいという。このように徘徊に悩み、施設に入れるケースが増加していると語るのは、千葉県の特別養護老人ホームの職員だ。
 「徘徊癖のある入居者が増えたので、うちでは入居者の安全のためにも、両手をベッドに縛って拘束をするようになりました。人員が足りないので仕方ない。どこも人手不足ですから、徘徊をする入居者に限って拘束する施設は増えていくのではないでしょうか」
 身動きが取れないよう体を縛りつけるのは、人間の尊厳にかかわる重い問題だ。だが、放っておけば命にかかわる事故に繋がる、という指摘もまた重い。
 「認知症の人は、自分が病気と自覚していないことも多いので、平気で車を運転しようとするんです。認知症の診察を受けるため、車で来院した人もいました。『危ないから運転はやめて』といっても、大丈夫だと言って聞かない。しかし、徘徊と同じように、運転中に道が分からなくなったり、道路標識が分からなくなったりと、大変危険です。これから認知症高齢者による車の事故は、どんどん増えていくと考えられます」(前出・高瀬医師)
 認知症による交通事故がもっとも心配だと語る高瀬医師だが、もう一つ懸念があるという。
 「お金を払うことを忘れ、結果的に万引きをしてしまうという悲劇です。高齢者が多く収容されている刑務所には、認知症高齢者が多いと聞きます」
 実際、万引きを取り締まっていぶセキュリティ会社の社員は、認知症高齢者の犯罪の増加に驚く。
 「埼玉県内を中心に、約50店舗に万引きGメンを派遣していますが、月に80~90人捕まえる万引き犯のうち、およそ1割が認知症高齢者です。これまでは、万引きをした高齢者は自分は認知症だと嘘をついて言い逃れしようとするケースがほとんどだったのに、最近は本当に認知症患者なんです。万引きがきっかけで、認知症と診断された人もいました。こうした事案は今後増えるでしょう。深刻な問題であると弊社では捉えています」
 「金銭感覚」や「社会性」を失っていき、さらに症状が進行すると「家族の顔」すら判断できない。その時、「家の中に知らない人がいる」と勘違いしたり、「いじめられている」と被害妄想が膨らんで家族を傷つけてしまうこともある。重度認知症をもつ68歳の義父を介護する佐々木文子さん(45歳・仮名)が、辛い出来事を明かす。
 「同居している中学生の息子に、突然『泥棒! 俺の金を盗んだだろ!』と叫んで包丁を振り回したのです。止めようとした主人は腕を切られてしまいました。うちには小学生の娘もいるので、もう危険だからと施設に入れようと思いました」
 ところが、すでに施設は満床で、少なくとも1年待ちだと言われたという。
 「施設への入所が必要な認知症患者は約300万人いますが、高齢者住宅を含む収容施設の定員は150万人ほど。今も、施設でのケアが必要な認知症患者の2人にひとりがあぶれてしまっている。施設を増やそうと行政も取り組んでいますが、認知症高齢者が激増している今、施設不足は今後も解消されないでしょう」(介護に詳しい淑徳大学社会福祉学科・結城康博教授)

「老老介護」から「認認介護」へ
 施設を利用できないと、その負担はもろに家族にのしかかる。身体的な負担もさることながら、金銭的な負担もバカにならない。50代の男性が、親の介護生活の現実を話す。
 「同居していた母親が80歳になったころ、もの忘れの症状が出てきました。最初は買い物に行って、何を買うのか忘れてしまう程度だったので、私たち夫婦は二人とも仕事をしていました。ところがある日、家に帰ると母親がガスコンロの上に電気炊飯器を置いて火をつけていたのです。慌てて火を止めたら、母親は、『ご飯を炊こうと思ったのに火を消すなんて』と怒る。その時、認知症だと気がついたんです。危ないので、私は仕事を辞め、自宅で介護することにしました。
 ところが、今度は妻の80歳の父親も認知症になってしまった。しかたなく妻も仕事を辞め、介護のために実家の北海道へ。夫婦別居の介護生活が始まり、今年で丸7年が経ちました。収入はゼロ。夫婦の退職金と親の年金をやりくりしていますが、生活に余裕はまったくありません……」
 医療経済学者で、医療経済評価総合研究所所長の五十嵐中氏は、認知症患者の増加が引き起こす社会経済的負担をこう分析する。
 「旧年の厚労省統計では、認知症患者一人当たりの年間医療費は、81万~152万円です。
 しかも、認知症はゆっくり進行し、治ることもないので、医療費はズルズルとかかり続ける。その上、介護費用もあるので、たとえば進行が速く、比較的短期間で亡くなるがんなどの病気よりもトータルの金額が高くなることもある。先の夫婦のケースのように、介護のために仕事を辞める人も多く、医療費の負担が大きい一方で収入が減るという厳しい現実もあります」
 ただし、息子や娘などが面倒を見てくれるならまだマシだ。これまでも高齢の夫婦同士で介護する「老老介護」が問題になっていたが、最近では介護する側も認知症という「認認介護」が増加してきている。
 認認介護とは、どのような状況なのか。認認介護の夫婦の家の隣に住んでいた主婦が、その実情を語る。
 「5年ほど70代の認知症の奥さんを介護していた旦那さんも、2年前に認知症になってしまった。お互いにご飯を食べたことも、食べさせたことも忘れてしまうため、夫が1日に何回も食事をさせ、奥さんは一時期かなり太っていました。去年の秋には柿を30個ぐらい買ってきて、皮ごと奥さんに一気に食べさせた。翌日、ひどい下痢になったようで、布団の上で全部漏らしていたんです。旦那さんは鼻がきかなくなっているのかまったく気に掛けず、異臭に気付いた私か駆けつけた時には、奥さんはウンチまみれ。その時は、私が一人で処理しました。
 それからしばらくして、隣から一切物音がしなくなったんです。おかしいと思って警察を呼び、中に入ると、二人とも栄養失調になっているのを発見。慌てて入院させました。今度は、食べさせるのを忘れてしまっていたんです」

日本経済にもダメージが
 認認介護の現場では、いつ何が起きても不思議ではない。たとえば今夏、記録的な猛暑の中で87歳の夫と78歳の妻が自宅で熱中症で倒れているのが発見され、介護していた側の妻が亡くなった。
 また、'09年には富山県で、認知症の妻が認知症の夫を殺害する事件も発生。介護していた妻が、おむつを替えるのを嫌がる夫を叩き続けて殺してしまった。妻は、自分が何をやったかも、夫がなぜ死んだのかもわからないままだという。
 在宅医療の第一人者・「川崎幸クリニック」院長の杉山孝博医師は、認認介護の現状を危惧する。
 「夫婦ともに認知症になれば、介護どころか生活が成り立たなくなる。すでに、80歳以上の夫婦の11組に1組が認認介護の状況にあります。将来的に、認認介護は増え続けるでしょう。一人が亡くなった後、残ったほうの症状が劇的に重くなるケースも多いです」
 また、アメリカで行われた研究では、高齢の夫婦で一方が認知症だと、もう一方も認知症となるケースが、そうでない場合より6倍多いという。「認知症が認知症を呼ぶ」-そうし
て、800万人もの認知症患者が街に溢れたら、この国はいったいどうなってしまうのだろうか……。
 「70歳の男性の行方が分かりません。服装は緑のセーターに灰色のズボン。お心当たりがございましたら、××市役所までご連絡をお願いします」
 すでに認知症高齢者が800万人を超えた20XX年の日本では、1時間に一回、街頭拡声器で高齢者の迷子放送が繰り返される。
 交通渋滞は、日常茶飯事。認知症高齢者による交通事故が多発するからだ。事故を起こすほうも、事故に遭うほうも認知症高齢者が圧倒的に多い。
 警察は、巡回する警官の人数を3倍に増員。徘徊、交通安全の取り締まり、そして頻発する高齢者による万引きに眼を光らせる。刑務所は、3分の2が65歳以上の入所者で占められ、まるで老人ホームのようだ。
 施設は5年先まで満床。そのため、ただでさえ労働人口が減っているのに、在宅介護を余儀なくされた若者が仕事を辞めて世話をする。貧困家庭が増え、消費減少で日本経済にも深刻なダメージを与えている。
 急増した認認介護の夫婦は、二人とも口座の暗証番号を忘れ、手元にお金はゼロ。近隣住民は、自分の親族の介護に手いっぱいで余所に目を向ける余裕はない。悲惨な最期を迎える高齢者夫婦は後を絶たないI。
 このような地獄未来図は、やがて確実にやってくる。我々には何か、打つ手はあるのか。
 「認知症は、完治は難しい。治療薬もありますが、治すというより、進行を遅くする薬です。これは、初期段階で使うか、ある程度進行してから使うかによって効き目が違う。初期であれば、進行を50%遅くできるというデータがあります。しかし、重くなっていれば、手遅れになる。認知症は、早期発見・治療がカギなのです」(認知症ケアに詳しい「お多福もの忘れクリニック」の本間昭医師)
 決定的治療法のない病が、爆発的に増加する恐怖。それは、「長寿大国」の誉れを得た日本が対峙しなければならない、大きな試練なのかもしれない。

週刊現代 2013年12月16日号  


Posted by acplan at 08:47Comments(0)ニュース